2011年12月31日土曜日

健康で幸ある新年を!

年末でちょっと時間ができたので持ってた本を読み返してます。これ、お医者さんの書かれた本。でも一般的な西洋医学とは違ってもうちょっと東洋医学っぽい。

休みをしっかり取れ、冷たいものを食べるな、とかいう当たり前のこと。これを医学的に説明されてる ので医学界では異端児扱いのよう。でも西洋医学の限界を知ってると

「ちょっと試してみようかしら?」

という気にさせてくれる本。

ちなみに

- 花粉症
- アトピーや肌荒れ
- 動脈硬化
- 肺炎、肝炎などの炎症の類
- 貧血や白血病
- リウマチや関節痛
- 緑内障や白内障などの目のトラブル
- メニエル、難聴など耳のトラブル
- 鬱や偏頭痛
- 子宮筋腫や不妊
- 癌などの腫瘍

などありとあらゆる病気の原因も 免疫力をあげるだけで治ると。まぁ100%信じるわけでもないし、西洋医学を否定するわけでもないけれど、試しても害はないのでここでご紹介します。

ご興味のある方はこちらから

一般向きで読みやすいもの


ちょっと医学的に深く触れてるほう



本年もご愛読ありがとうございました。
皆さんが来年も健康で素敵な1年を過ごせますように。そして良いお年をお迎えください。

2011年12月20日火曜日

小名浜港(いわき)の復興用動画

夏に福島県いわき市でもチャリティーコンサートをさせて頂きました。ひとつは「アクアマリンふくしま」という東北一と言われる水族館でのイベント出演、そして翌日はいわき市平の教会で。

アクアマリンふくしまではお子様連れが多いと聞いていたので、お子さんたちが楽しめるようなよく知られた曲ばかりに簡単なトークを交え、14時と16時の2度弾かせて頂きました。グランドピアノの蓋を全開にしてピアノの仕組みなどを見せながら、というパフォーマンスはなかなかウケがよく、中には1時間半、水族館内を見学して2度目の演奏まで聞いていかれた方もいらっしゃいました。

2度目の演奏後、お話させて頂いたお客様の中には岡山から支援にいらしたばかりの方もいらっしゃって、この方は翌日、わざわざ平の教会までコンサートへ来てくださいました。それも義援金までもって。支援活動だけでも相当大変なはずなのに、それだけでなくこうやって義援金まで出して頂いて本当に頭のさがる思いでした。

3ヶ月にわたる支援活動を終えて岡山に戻られたこの方から今日、手紙が届いたのです。支援の一環として小名浜港の復興用動画を作ってそれをYouTubeにアップしたと。 それがこちら→http://youtu.be/r0iVsGFQxPw

で、私のコンサートの模様もほんの一瞬だけ出てきます。7分35秒頃。でもメインはいわきの小名浜港の復興ですので、始めから全部みて頂けると嬉しいです♪

いわきではこうやって2度コンサートを聞いて下さった方が何人もいらっしゃり、しかも教会でのコンサートでは帰り際に涙ぐまれて何度もお礼を言って頂いたり、ピアニストとしてとてもすばらしい経験をさせて頂いた思い入れの深い場所になりました。福島の現状を直接聞かせて頂ける機会も頂き、早く原発のことが落ち着いて、1日も早く復興して欲しいと心から願ってやみません。

2011年12月15日木曜日

癌は治る

と言われてます。癌になってから5年とか10年とか生存してれば、医学的には治ったということらしいです。ま、医学ってしょせん統計学ですから。

ここからは癌患者としてのぶっちゃけ本音。
いやね、簡単に治るとか言って欲しくないのよね~って。
大抵は手術して、抗癌剤して、ってその治療だけが大変と思われているけれど、はっきり言って癌治療はそんなに甘くない。もちろん抗癌剤自体大変だったし、命の危険があると言われたのも1度や2度じゃなかったけれど、これ終えたのなんてもうかれこれ2年半前。でもまだ体に残ってる?って感じだし・・・

最近、抗癌剤治療を受けた知り合いからメールをもらった。
「抗癌剤で一気に100歳になった気分。そして終わってから10歳ずつ若返ってる」
なかなかうまい表現だなぁと感心したけれど、それでいくとさしずめ私は今65歳位か?普通なら年金もらってゆっくりできる歳ですよ。

未だ続いているホルモン療法の副作用も含め、食べて、出して、動いて、寝るという基本的な人間の活動は薬なくしてできません。その薬にしたって、そんなによく効くわけでもなくて、あるだけマシって程度。これがよく言われるQOL(Quolity of Life = 生活の質)なんでしょうけど。嫌になって「もうホルモン治療やめたい・・・」と何度担当医に泣きついたことか。

じゃあ、なんで続けてるの?って話ですが、それは簡単。ただただ『生き延びるため』これに尽きますわ。

結局、私にとってまだまだ毎日がサバイバルな訳ですよ。ホルモン療法あとさらに3年すれば生存率が3%だかあがるらしいんですが、そのたった3%の為にどこまで頑張れますか?って話。普通に考えれば3%って言われれば「じゃ、自分は大丈夫だな」と思える数字でしょう。でも、ロシアンルーレットの弾を当てたら、当てた人にとってはそれが全て。結局統計上の確率は、どんな低い数字でも全然意味をなさない。これが宝くじをあてる確率(?)で30代で癌になっちゃった私の経験論。

でなんとか仮に5年頑張って「治った」とか言われても、私まだ40代にもなってない。平均寿命の半分以下ですよ!まだまだこの世を去るには若くないか???

今年亡くなられた女優の田中好子さん。30代で同じく乳がんを患って19年間闘病生活だったらしい。彼女だって医学統計上は5年生存された時点で「治った」と認識されたんじゃないかと思いますが、どう考えたって全然治ってないでしょ。

3年も闘病生活をしてそろそろ社会復帰しようという状況の今、よく聞かれるのが

「もう良くなったの?」

面倒だから「うん、うん」と言っているけど、何をもってしたら『良い』と思える状態なんだろうかと。

普通なら多分、病気になる前の当たり前の状況に戻ることを指すのだろうけれど、今の私には自分の体が実年齢になるなんて起こりえるわけないと思ってる。だから薬を飲みながら、副作用をだましだまし、それでも仕事や遊びもそこそこ人並みにできる当たり前の生活ができれば十分『良い』で、20年ちょい生存できて55歳位まで生き延びられたらもう万々歳か?

今年はその前段階として色んな所へ旅行したり、チャリティーやったり、コンサートツアーしたりした。それで普通に仕事する体力はできたって感じだけれど、やっぱり自分の体が思い通りにならないことで出来ないことっていっぱいある。

私の病気のことを知らない人は、それで私という人間を判断するから、時には厳しい評価を受けることもある。「あーぁ、もう普通の土俵に上がることは無理なの?」と凹むこともしょっちゅう。それでも病気をハンディとして使いたくないし、今の私はこの状態なのでその上で自分の出来ることをやっていくしかない。

癌患者同士で色んな話をするけれど、大なり小なりみんな同じ。それだけ癌ってまだまだ大変な病気。昔と違って癌=死ではないけれど、そう簡単に治るっていう病気でもない。この辺、もうちょっと患者の感情にセンシティブになって欲しいよな?と思う今日この頃。

サンタさーん、私、今年もがんばっていい子にしてました!
なので、プレゼントは細く長く続けられる仕事くださいな♪(爆)

2011年12月2日金曜日

うちのクマさん

ある~日、森のなかっ♪

といえば、森のクマさん。このクマさん、お出来が大変よろしくて、落し物を拾ってくれるらしい。

一方のうちのクマさん、落し物する専門。


今日も出先から電話があって

「茶色のマフラーがあるかどうか見て」

ってマフラーを途中でなくしたのか、つけて出なかったのかも記憶が定かでないらしい。うーん (-_-;)

スタコラサッサと来た道を引き返したり、お出かけ先に電話したりしてみたらしいけど、とーぜん見つかるハズもなく・・・

これで今年に入って大きい落し物は3件目。

イタリアで観光中にトムトム(携帯カーナビ)をなくし
アジア旅行から帰る途中、空港でカメラ用三脚をおきっぱなし
そして今日はアンゴラのマフラー

なまじ安物を買わないだけに、1回の落し物の額が半端ない。

さて、今年サンタさんにはどれを頼もうかな・・・ 

って、もしかしてサンタは私かぁ~??? Σ( ̄ロ ̄lll)

幸せのおすそ分け

もらってきました、日本で。結婚したばかりの友人夫婦から 初めて紹介してもらった奥さんは 若くて超美人な台湾人。結婚決めてすぐ日本にやってきてすでに日本語はペーラペラ♪

頭脳明晰な彼女との話は面白い!ファッションから政治経済に至るまで 話が弾む、弾む。

その中で

「誰かに幸せにしてもらおう」 と思ってるから幸せになれない。
そんな人を誰も幸せにできない。だって幸せは自分で作るもの。

どんな人生のどん底にいても 不幸になるのはそれを嘆くから。
ちょっとしたことに感謝できればほんと幸せでいられるのにそうじゃない人多いよね?


なーんて話を女同士で盛り上がり、肝心な彼はニコニコ聞いてるだけ。いいたいことをポンポン言っちゃう 奥さんも可愛くて仕方ない模様♡

そんな二人の様子を見ながら なんだかほっこりした昼下がり。幸せな人は周りまで幸せにするんですね♪ 幸せのおすそ分けができるような人に私もなりたいなぁ・・・

2011年10月18日火曜日

海外に長く居すぎた…と実感するとき【ファッション編】

なんだかウケがいいこのシリーズ、略して「浦島さんシリーズ」今度はファッション編を・・・

1. 帰国の度に「ほう、今こんなファッションが流行ってるんだぁ」と感心するとき
日本ではみんなが同じモードを追いかけるので、その変化がわかりやすい。

2. と同時に、どの子を見ても「おんなじに見える」と思うとき
同じファッションで細かい違いにこだわる日本人。思考回路が外人になっちゃってるとそのちょっとした違いはわかりません(汗)

3. 特に行き過ぎちゃったファッションの子を見て「うわっ、キモ!」と思うとき
先日、飲食店ですごいつけまつげの女の子がいた。正直、自分のオーダーは不潔感いっぱいにみえる彼女に触ってほしくないと思ってしまいました。

4. 鼻が低くかろうと、目が細かろうと、まつげが短かろうと、「そーんな整形や化粧でいじらなくてもいいのに!」って思うとき
何をやっても西洋人の鼻の高さ、目の大きさ、まつげの長さにはかなわない。それならアジアンビューティーでいいじゃん!って思うのは私のあきらめかぁ???

5. どの子も風に吹き飛ばされちゃいそうなくらい細いな~と感心するとき
丸めのラインが好まれるヨーロッパにいますんで・・・(笑)

6. こっちで「ほんとスタイルいいね♪」と褒められてにんまりするとき
そう、日本で太めはこちらで標準。日本で標準はこちらでは痩せすぎ。やっぱいい国にいるわ!(爆)

7. 自分のサイズが日本サイズで言えないとき
イギリスサイズも、アメリカサイズも、イタリアサイズも、フランスサイズも、ゲルマンサイズもわかるけど、日本のサイズだけはわかりません。てか知りたくないかも!?ま、どうせ日本じゃ買わないからいいけどさぁ~♪

8. どんなに脚がきれいと言われている日本人を見ても「そうかな?」と思うとき
だって西洋人って、どんなにデブでも足だけは細くて長くてキレイなんだもん

9. 「その格好で寒くないの?」と聞かれるとき
北国の気温に慣れると日本の冬は暖かいんですもん

10.知らない人が自分の胸元を凝視してるのに気づいたとき
胸元が開いてる服、体のラインが出る服が多いこちらのファッション。色んなサイズの人が当たり前のようにそういう服を着ているので、私のスタイルで凝視されることは皆無。でも日本だと襟ぐり大きく開いてたり、胸の形がぴったり出る格好してる人なんていない。

てかどうせ見るならもうちょっと遠慮してこっそり見なさいよ(怒)

と思うのは私だけ?

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2011年10月17日月曜日

オランダの医療事情13

抗癌剤を始める直前か、始めてすぐのある時、新聞に面白い記事が出ていました。内容は「がん患者のためのビューティーコース」。放射線治療や抗癌剤で、髪、まつげ、眉毛が抜けたり、吐き気で顔色が悪かったり、という患者さんの為に、いかにそれをうまくカバーして病人に見せないかを教えてくれるというもの。 

これはボランティアのエステティシャンによるコースで、幸運にも私がお世話になっている大学病院の一角で数ヶ月に1度開かれているものでした。大学病院内で開かれるということは、病院側もある意味協力してくれている訳ですから、その辺はやはり「さすが!」と思いましたね。ということで、病院に行ったついでに予約を入れて行ってきました。 

当日は女性ばかり10名くらいが集まりました。大テーブルを囲んで座り、一人一人に化粧品会社などから提供してもらった化粧品セットが配られます。そして化粧の仕方を習います。 

といっても患者さんの為の化粧なので、抜けてしまった眉毛を上手に描くテクニック、描いた眉毛を1日消さずに持たせるにはどの化粧品がいいか、どこに色を持ってくると健康な人のように(くすみがなく血色よく)見えるか、などを参加した患者さんに化粧をしながら教えてもらえます。 

さらにウィッグの選び方、かぶり方、取り扱い業者、に始まって、ウィッグにスカーフをつけたり、帽子をかぶったり、なんて応用テクニックも親切丁寧に教えてもらえます。また、普段ウィッグをかぶらない時に丸坊主の頭をスカーフで包む方法なんかもここで教えてもらったことです。普段は自分一人で治療と向かい合っていても、こういう所で患者さん同士の交流ができたこともよかったことの一つと言えます。 

でコースが終わる頃には、さっきまで抗癌剤の点滴をつけ、どこからどうみても血色の悪い病人にしか見えなかった女性達が、普通の健康な女性へと大変身していました。(って私もその一人だった訳ですが!)でエステティシャンが最後に一言

こうやって化粧の仕方一つで健康にみえるように簡単に変身できます。でも、化粧して診察を受けるときには必ず「これは化粧です!本当は具合が悪いんです。」というのはきちんとお医者さんに伝えるようにしてくださいね。でないと健康だと思われて、ちゃんと診てもらえないと困りますから!

確かに・・・

ということで、抗癌剤の最中も見た目は健康そのものの状態を保って外出できたのはこのコースのおかげ。唯一困ったのは、余りにも健康に見えるため、優先席を譲ってもらえないし、運よく席があいていてもそこに座ろうとするとすごい目で見られること。「いや、本当に病人なんですってば!」と心の中でよく叫んでました(笑)

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オランダの医療事情12

外科での治療が一通り終わった段階で、「抗癌剤するので内科へ行って下さい。」と言われ、すぐ内科送りとなりました。初めての内科の診察で聞かれたのが

あなた、子供はいますか?いないのなら作る気はありますか?

「って、抗癌剤とどういう関係があるんだ???」と思うような質問。色々あってそろそろ子供でも?とちょうど話していた頃に癌が見つかったので、そのままになっていたこと。で、そのように答えた所、医者から言い渡されたことが、

抗癌剤投与で、婦人科系は機能しなくなります。つまり、自然に妊娠することは99%の確率で不可能になります。

手術で乳腺をとるということは女を失うことだと思っていましたが、まさかことごとく女としての機能を失うことになろうとは思いもよらなかったことの一つです。まぁ、生きるか死ぬかとやっている時に、女がどうとかいう次元ではないというのは頭で分かっていても、感情がそれを受け入れることができるかどうかはまた別問題だったりします。

日本でここまで説明して抗癌剤投与をされているのかどうかは知る由もありませんが、オランダではそういうことを説明した上で

治療が終わってから妊娠できるように産婦人科でその可能性を話してきますか?不妊治療の一環でどこまで出来るのかは私には分かりませんが、もしかしたら卵子か受精卵を保存するというのが出来るかもしれません。まだ実験段階かもしれませんし、詳しくは産婦人科で聞いてください。

ということでとりあえず産婦人科へ行くことになり、それまで抗癌剤投与を待ってもらうことになりました。知り合いの腫瘍内科医も「まだ手法としては確立されてない実験段階だと思われる」と言っていた不妊治療。あまり期待もせず産婦人科へ行ってみたらなんと「あなたは特別のケースだから」と産婦人科の教授がお出ましになり色々説明をしてくださる。結論から言うと、

癌の再発リスクを抑えて妊娠することは可能。そしてその為には色んな方法があるが、とりあえず受精卵を冷凍保存させておくのがいいでしょう。ちなみにこれはすでに確立された方法で、これで何人も出産しています。まぁまだ子供が成人になってるケースはありませんが。

ということで、早速その冷凍保存の為の手続きに入ったのはいうまでもありません。選択肢は多い方がいいですから。ということで、これが私のプランA。これでダメだったらきちんとプランB以下も用意されています(笑)

ちなみにオランダでは、産婦人科の不妊治療を受けるには最低数年待ちと言われています。そして色んな手順を踏んでやっと治療が始まるわけですが、私の場合は抗癌剤投与を待ってもらっている関係上、とにかく『大至急』で受精卵を作る必要があり、色んな手続きをかなりハショってもらって初めの診察から冷凍保存までかかった時間わずか1ヶ月弱。「私みたいな迷惑飛び入り患者がいるから、数年も待たされるのか!」と思う反面、踏んだり蹴ったりの治療中に一瞬でも希望をみせてもらえたこの治療は本当にありがたかったことでもあります。

日本ではまだここまでしてもらえないと聞いていますが、本当にできないわけではないと思います。形成外科だって、不妊治療だって、それだけならできる施設もあるはずなんですよね。問題はそれを患者が自分で探してこない限り、受けれないことなのではないかと思います。要は横の連帯さえうまく機能すれば出来る話なのに・・・と思うと残念な話しだなぁと思います。こういう患者の心理的なストレスの軽減に関してはオランダでは色んなリサーチが行われていて、そういう分野は実はかなり進んでいるのではないかと思います。(つづく)

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2011年10月14日金曜日

海外に長く居すぎた…と実感するとき【買い物編】

先日、友人のTweetでみつけた記事がこちら。 
外国人が日本に長く居すぎた…と実感するとき
http://labaq.com/archives/50779932.html

これの逆バージョンが私!?ということで、「私が日本で感じること」というお題でまんまパクってFacebookのNoteに書いてみたら、なかなか好評だったので(?)番外編を・・・ 

1.「いらっしゃいませ」と言われて「どうも~」と挨拶を返して変な顔されるとき
「いらっしゃいませ」という挨拶がない国ではその代わりに「ハロー」と挨拶されるので、必ず「ハロー」と挨拶を返します。

2. デパ地下のバラエティあふれる食品に目をうばわれているとき
はい、デパ地下自体がありませんから!

3. レジのベルトコンベアがない!買い物した商品はどこに置くの???と思うとき
こちらのスーパーにはレジのところに小さなベルトコンベアのようなものがあり、そこへ買いたい商品を置いておくと、自分の番になるとそれが動いて、レジでバーコードをピッてしてもらえます♪

4. スーパーの買い物袋がただでついてくるのに感動するとき
こちらのスーパーの買い物袋は有料。なので、一度買って使いまわししするか、マイバックを持参

5. 買い物袋がただでついてくるだけでなく、それに全部入れてもらえて感動しまくるとき
基本、なんでも「自分でやれ!!!」の個人主義の国ですもん・・・

6. コンビニの存在自体、感動ものと思うとき
だって24時間開いてるお店なんてありません(泣)

7. 土曜日にまとめて買い物しなくても大丈夫なんだと思うとき
キリスト教では日曜日は休息の日。はいぃー、お店、基本的にしまってますがな~

8. 1円玉が使いこなせなくて、財布にたまって財布が妊娠してるとき
この国では1セント単位は四捨五入。つまり5セント以下は使わずに生活してます。

9. スーパーの魚売り場の大きさに感動するとき
肉食動物の住む国では、魚売り場はその辺の一角だけ。しかも、鮮度悪すぎて食欲減退もいいとこだし・・・

10. 食べたいものを自分で作らなくても、すぐ買って食べれることに感動するとき
だって日本食がたべたいんだもーん♪ でもおにぎりなんてどこにも売ってないし・・・

今のところ、思いつくのはこんなとこですかね?

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オランダの医療事情11

オランダの病院へかかると、まず患者番号なるものがつけられます。そしてこの番号に自分の名前、生年月日、保険会社名とその保険番号、ホームドクター名などの最低情報がコンピューター上に登録されることになります。これらはバーコード管理されるので、カルテ、採取した血液、処方箋、などいたるところでこのバーコードのシールがペタペタ張られることになります。

基本的には医療関係は全て生年月日を基準にして検索されるので、ホームドクターでも、病院でも、薬局でも、まずは自分の生年月日を声を大にしていわねばならず、待合室で人がたくさんだと普段若く見られるのが自慢な(?)だけに「自分の年がバレるのやだな・・・」とか思うことがよくあります。(苦笑)

で、この登録は診療記録でもあります。すなわち電子カルテが直結していて、うちの大学病院の場合、全ての記録が共通データベース上に保存されています。つまり私の誕生日を打ち込むと、いつ、どこの科で、どんな治療を受け、どんな薬を服用していて、云々・・・というのが芋づる式に全部出てくることになります。

骨を折って整形外科にお世話になって完結する人などであればこの共通データベースのありがたみは余りないかもしれませんが、私のようにありとあらゆる科を渡り歩いている患者の場合、新しい科へ行く度に一々どこで何したかという説明をしなくても済む、というのはとてもありがたい話です。

そして各科の診察ではこれらの履歴も考慮して診断してもらえます。例えば、今声が出なくなっていて耳鼻咽喉科でお世話になっていますが、まず「喉頭癌の可能性はないか?」という所から始まって、「胃液の逆流の可能性は内科で処方されている薬が原因ではないか?」など。このように横の連携がスムーズなので、患者としては丸抱えで診てもらえている安心感があります。

ちなみに病院の初診のアポが取れるまでに相当待たされる、というのは前にも述べた通りですが、一度患者になってしまえば、外科から内科、内科から婦人科、というように病院内の別の科に行くのは比較的スムーズともいえます。まぁ専門医が必要と判断して別の専門医へ送るということが簡単にできるのが総合病院のいい所なので、当たり前と言えば当たり前ですが。

とはいえ私が場合お世話になっている科は「腫瘍外科」や「腫瘍内科」。病院内でも『がん患者=優先順位トップ』という扱いであった為、この別の科への横滑りもかなりスピーディーでした。でも「癌とさえ言っておけば、なんだか水戸黄門の印籠効果をもたらしてないか?」と思うこともしばしば。え、それを悪用しなかったかって?それは想像にお任せします。( ̄▽ ̄)


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2011年10月12日水曜日

オランダの医療事情10


唐突ですがオランダの所得税はとにかく高いです。初めて働きはじめた時、給料から差し引かれたのはその当時36%(?)とかだったと記憶していますが、それを聞いたうちの父親が言ったのは「お前、そんなに稼いでるのか?」初任給でそんないい給料をもらえるわけもなく、ただ単に所得税率が高かったというだけの話ですが、現在の累進課税で所得税の最高税率は52%。そう、一生懸命働けば働くほど政府が潤うようになっています。


この国に住んでお給料をもらう限り選択の余地は勿論ありません。ですから働いている頃は元々の給料額をみてから手取り額を見ると頭にくるので(笑)、ある時から手取り額しか見ないようになっていました。そして52%納税者に共通の考え「働いているものがバカを見るシステム」と長らく思っていました。そう、病気になるまでは・・・

考えが一転したのはいきなり大病をした時。その当時は働いていましたが、転職したばかりで1年契約だったのです。そして入院して治療を受けている間に契約は切れ、金融危機もあって契約更新はされずいきなり無職になったのですから、泣きっ面に蜂もいい所です。

ところがだてに52%もの所得税を取られているわけではないんですね。まず無職になると生活保護がでます。本来ならそんなに金額が出るわけではないのですが、「病気で働けない人」の為の生活保護は別カテゴリーとなり、これまでの給料70%(?)だかが無条件で最高2年まで支給されます。とはいっても当然上限があるので、私の場合はそれでもそれまでの給料の半分以下でしたが、でも普通に生活していくには困らない額です。

そして2年以上たつと今度は普通枠の生活保護になるはずなのですが、私の場合は「病気だから」とかなんとか色んな理由がついてこれまでとあまり変わらない額を支給されています。実際、病気の治療でさんざんな目にあっている時にお金の心配までしなくてすむというのは本当にありがたい話です。とはいっても私みたいな人間は不遜にも「これまで払った税金とりかえしてやる!!」位の気ではありますが・・・(笑)

さらに医療費は無料です。正確に言うと、国民保険はオランダに住む人は強制加入となります。月々の保険料は、保険会社に多少の差があるものの大体1万円弱位ではないかと思います。そして基本医療費(医者の診察料、必要不可欠な薬など)はこれで全てカバーされます。それ以外にオプションで歯医者の診察料、針や整体などの治療費、精神科医の診察料などをカバーする保険にアップグレードすることができます。私の場合は元々、細々と病気をしていたので、最大限アップグレードしていたのが病気してから役に立ちました。

ちなみにアメリカでも問題になっている保険料が払えない低所得者ですが、オランダの場合は政府から保険料の還付があります。つまり、そういう人たちは完全に無料で医療が受けることができると言えます。とはいえ、毎年最低限の自己負担額というのが設定されており、初めの15千円程度は自己負担をし、それ以上は保険でカバーされる仕組みになっています。つまり、全てが全て無料で医療費が垂れ流されている訳ではありません。

ちなみに私の治療を例にとって説明すると、ホームドクター、大学病院の診療、精神科医、抗癌剤中の交通費、処方される薬、理学療法士の治療、全てがカバーされました。さらに、抗癌剤中に髪の毛が抜けている間に着用したカツラ、抗癌剤後の癌患者の為のリハビリコースなども大部分の費用がカバーされました。さらに癌が遺伝だと分かった時点で毎年の自己負担額の一部還付までありました。理由は「遺伝の人の場合、定期健診や検査などが絶対に必要で、毎年自己負担額が発生し、それが不可避だから」なんとも至れりつくせりなシステムだなぁと思う訳です。

病気になって日本で治療を受けている癌患者の方とお話する機会があっていつも言われるのは「治療がタダなの?いいわねぇ~」確かに、抗癌剤1回の自己負担額を聞くと「これを毎回払えるかどうかが、自分の寿命を決める訳か?まさに命の値段だよな」と思います。が、日本とオランダの所得税率の違いを考えると、最終的な生涯コストにして計算すると同じなんではないかと。要は毎月チマチマ(って結構いい額ですが・・・汗)源泉徴収されて否応なく払うか、病気になった時にまとめて払うかの違いとでも言いましょうか。まぁそうやって考えると、日本の貯金額は世界一とかその昔言われていたのもそれなりに納得できるわけです。 (つづく)


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2011年10月11日火曜日

オランダの医療事情9


至れりつくせりの入院生活で困ったのは、やはり病院食。元々食文化としては文化がないと言っても過言ではないオランダ。そんな国の病院で、おいしいものが出てくるわけがあろうはずもなく、要領を得るまでにちょっとばかり時間がかかりました。


まず、朝と昼はパン食です。サンドイッチの厚さの食パン2枚。これは白かブラウン(全粒)かが選べます。ところが配膳中に乾燥するのか、パリパリで食べれたものではないんですよね。ということで、子供のようにパンの耳を大きく残して中だけくりぬいて食べたりしてました(笑)

ただ、後になって分かったのですが、食パン以外にもスウェーデン風の乾燥クラッカーや、オランダのライ麦パンなども選べ、こちらは袋詰めの市販のもので乾燥や湿気とは無縁の状態。それに気づいてからは毎回こちらの方を頂いていました。

で、問題はパンにつけて食べるもの。あるのはバター、マーガリン、ジャム、チョコレートペースト、ハム、チーズ。手術後、甘いものが欲しくなくなり、しょっぱいものだけ欲しい私にとって、選択はハムとチーズしかない。「えぇっと、どちらも食べれないんですけど・・・?」基本的にバターもマーガリンも使わないので、食べようがない!という状況に。どうやって、この病院食をサバイバルしたのか余り記憶にないのですが、家からの持ち込みでなんとかしのいだような???

運がよければこれにりんごやオレンジなどの果物も選べ、後は数あるジュース類、コーヒーか紅茶、カップスープ位ですね。果物はともかく、ジュースもコーヒーも紅茶も基本は飲まない人間にとって、どんなに色々あっても自分の口に入らないものであればあってもなくても一緒!まぁ看護師さんにも「普段何食べてるの?」と驚かれるわけです(笑)

そして午後になるとその日の夜のメニューの希望用紙が回ってきます。メインディッシュは2種類から選べ、主食はジャガイモかご飯かパスタか、その日のメニューによって選べるものが変わってきます。さらに半人前、1人前、1.5人前から量が選べるので、食欲がない時などはあらかじめ半人前だけお願いしたりということもしていました。

さらにソース大好きなオランダ人の為に、塩&こしょうだけでなく、ケチャップやマヨネーズ、サンバル(インドネシアのチリソース)などメニューによって選べるソースもありました。そして毎晩デザートがつき、これはヨーグルトとか、フラ(オランダのカスタード)などでした。

今、健康になってみると悪くないメニューとも思えるのですが、入院中は全く砂糖類が欲しくなかったので、デザートは全て食べられない、肉も魚も一口がいいところ、パスタに至っては伸び切ってしかもまずそうなソースとあえてあるのを見た瞬間「誰かこの皿の上に吐いちゃったわけ?こんなの食べれないわ!」とそのまま手をつけずに返したり、とまあほとんど食べなかったという記憶しかありません。たまーにそれでもこれならってものが出てきてましたけど、ほとんどは仕事帰りにお見舞いに来てくれていたうちのクマの胃袋に収まっていましたね。特にデザートなんてなめるように食べてたし!(爆)

食事の合間にはワゴンで飲み物を持ってきてくれます。と言ってもジュース、コーヒー、紅茶という私が飲まないものしかないので、頂いていたのは水とストロー(動けないときは、これがないと何も飲めない!)だけでしたけど。

とまあ食べるのが楽しみな人間にとって、食欲があっても食べるものがないとこれほど苦痛な入院生活はないわけで・・・お見舞いに来てくれる人にしょっぱいクラッカーや果物類を持ち込んでもらい、たまにデリバリー中華をそのまま持ってきてもらったりして面会室でこっそり食べたりとか。まぁそういうこともあって、『退院はなるべく速やかに』をモットーに2度目以降の手術に臨んだのは言うまでもありません!(つづく)

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2011年10月10日月曜日

オランダの医療事情8


さて手術の手続きをしている時に出てきた話題が病室のこと。担当看護師さんに「希望ある?男性と同室は嫌とか?」私は日本の病院のイメージしかなかったので、そんな病室に希望を言える事自体に驚き、せいぜい考えることができたのが「何人部屋なの?」という質問だけ・・・


8人位?となんとなく思っていたのですが、出てきた答えにびっくり!
そんなにたくさんいないわよ~!!!2人、多くても4人。でもあなたは多分二人になると思うわ。
その言葉通り、ラッキーにも二人部屋をあてがわれ、始めての入院となりました。

で、手術当日はまず自分の入院予定の病室のある棟へ向かいます。入院棟は担当科や入院期間によって分かれています。そして自分の病室に案内され、そこへ荷物を置き、渡された手術着に着替えます。必要な血液検査なども、入院病棟担当の看護師さんがしてくださり、準備の一部は病室でされます。患者はあとベッドに寝て待つだけ!

そして時間になると、そのままベッドごと手術控え室へ運ばれます。そこへ形成外科の先生が来てマジックで色々書いたり、麻酔医の質問に答えたり。さらに時間になると今度は手術室に運ばれます。ドラマなんかで見るよりずっと小さいし、なんと言っても寒いのには参りますね。こっちはほとんど裸に近いわけですから!といってもあっという間に麻酔で眠るんですが。

手術が終わって起こされると手術控え室に戻ってます。そしてそこで惰眠をむさぼり、いい加減寝たなぁと思う頃に病室に連れて戻ってもらえます。といっても手術当日は、麻酔とモルヒネのお陰(?)で延々と眠ることになり、夜中位にぱっちり目が覚め「お腹すいた~」というのがこれまでのパターンですね(笑)

ちなみに入院病棟には病棟の医者と看護師さんが3シフトでつめてらっしゃいます。朝の回診はこの病棟の医者と看護師さんの他に、自分の担当科の先生が交代でいらっしゃいます。ですから自分の担当の先生に会うのは週に1~2回程度で、あとは別の先生だったりします。そして、症状がやばい患者から回診が始まり、退院までわずかとなると時々回診を忘れられることも!←このいい加減さがまたオランダらしい!(爆)

ちなみに初めての手術で半死だった私。夜中にお腹がすいて目が覚めてから、なかなか寝付けなくて、やっと眠れた所をこの朝の回診で起こされました。元々、寝起きがめちゃくちゃ悪く「なんだよ、せっかく寝れたのに起こすなよ!(怒)」位の気分で目を開けたら10人位にベッドを囲まれて、眠気も一気にぶっ飛びました。そう、大学病院の先生にはそれぞれ見習いの先生や学生が必ず付き添うのでそれ位の人数になるんですね。しかも前夜に意識を飛ばしていたので、多分その日朝一番の回診は私ってことで勢ぞろいされたようで・・・(笑)

23日も入院してればなんとなく色んな事が見えてきます。まず病棟の看護師さんは毎回受け持つ病室が決まっているようで、シフトに入ったらすぐに挨拶にいらっしゃいます。「今朝は私があなたの担当でXXと言います。」そして自分一人で動けない患者は、この看護師さんに手伝ってもらって朝の身支度をします。シャワーに連れて行ってもらって一緒にシャワーをしたり、髪を洗ったり、傷口があってダメなときは体を拭いてもらったり。はい、毎朝です!そしてその際にシーツなども全部取り替えてもらえます。これも毎朝。

さらに私の場合は、外科で配属された担当看護師さん(例のアカウントマネージャーですね♪)も時間を作って顔を出され、知らない顔ばかり(そう、担当外科医がいきなり教授になっていたし!)で不安だった手術翌日、彼女の顔を見てすごくほっとしたのを覚えています。しかもオランダの病院食が食べられなくて、手術前日の夜~手術翌日の昼過ぎまで何も食べてなかった私に「何も食べてないんだって?普段何食べてるの?あなたは食事制限ないんだから、食べれるものを食べたらいいわ。家に電話して食べたいものを持ってきてもらいなさい。」というお許しまでもらい、家からデリバリー中華なんかお願いしてみたり♪

なんとなく入院って我慢を強いられると思い込んでいたので、逆に患者であっても人間らしい扱いを受けることができたことに驚きました。病室の人数も少ないし、看護師さん一人につき見ている患者数も多分日本より少ないんだと思います。ですから、忙しいだろうと呼び出しボタン押すのを遠慮してたら逆に「その為にボタンがあるんだから、押しなさいよ」と言われる始末。予想に反してかなり至れりつくせりの入院生活となりました。

但しオランダの場合、病院はそのサポートが本当に必要であると認められた人の為のみ。ですから、自分で起きてトイレに行けるようになれば、それで退院となります。私の場合は最初の手術で1週間入院でしたが、日本で同じような手術は2週間入院らしいので、相当違うことが分かると思います。ちなみに一人暮らしで、まだ食事が自分で作れないとかの場合は、Thuiszorg(自宅ケア)と言ってそういうのを手伝いに来てくれるサービスとセットで退院することになります。初めての時は「それってどうなの?」と思いましたが、結局寝てるだけなら家の方が落ち着くので、私も2度目の手術以降は、ドレーンという管がまだ体に付いたままで、オランダ人並みにサクサク退院させてもらってました。(つづく)

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2011年10月9日日曜日

オランダの医療事情7


世間一般に知られている乳癌の手術には色々な方法があります。が、私の場合は色んな状況からほとんど選択肢がなくて、唯一選べたのが、形成(胸の再建)をするかしないかです。

これを決めるにあたってとりあえずその専門科である形成外科の先生に相談する事にして、すぐに担当看護師さんにアポをとってもらいました。といっても外科と形成外科の外来はお隣同士でツーカーの仲なんですが(笑)

初めてで戸惑っている上に、医学用語のオランダ語が全く理解不能な私に、ゆっくり丁寧にサンプルや絵や写真を見せながら説明してくださる形成外科の先生。私の肌の状態をみてその手術方法や、再建のプロセスを分かるまでしっかり教えてくださいました。時間をはしょることもなく、わざわざ数回に分けて納得できるまで外来で時間を取ってくださったのは、患者として本当に有難かった事の一つです。

これは外科でも形成外科でもそうだったのですが、大学病院の先生は普段から医学部の学生を教えてらっしゃるだけあって、説明が本当に分かりやすいんですね。私の限られたオランダ語ボキャブラリーでは、色んな体の部位や組織の単語は全然分からなくて、言葉だけで理解できないこともしばしば。そんな時は絵を描いてくださったり、形成外科では紙とはさみで実際に手術の方法をデモしてくださったり。

最終的に形成も一緒にやってもらうと決めたら、後は手術の日を決めるだけ。その場合、外科だけのときに比べて手術までの待ち時間が長くなります。なぜなら外科医と形成外科医の二人が同時に手術できる日を選ばなくてはいけないからです。

まぁ手術中は当たり前ながらぐっすり寝ていたので(笑)、実際の所はどんな形で役割分担されているのか良く分かりませんが、説明を受けた限りでは、形成外科医が切る場所を決め、それに従って外科医が切って癌や乳腺などを取りだして、形成外科医が詰めて、閉じるということらしいです。

ただ1度目の手術の時は手術中に何かが起こったらしく(怖くて本当の話を詳しく聞き出してませんが・・・)、半死の状態で手術室を出て、知らないうちに外科の担当が教授になっていたというオチがあったのですが、とりあえず三途の川はまだ渡らずにすんだので(爆)、自分の生命力の強さに感謝するべきなんでしょう! (つづく)

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2011年10月8日土曜日

オランダの医療事情6

癌の告知を受けてから、決めておかなくてはならないことが二つありました。まず一つ目はどこで手術を受けるか、そしてそのままユトレヒトの大学病院で受けるのであれば、外科と形成外科を同時にするか、それとも形成はせずに外科だけにするか、ということでした。

これまで、ホームドクターの治療はあてにならない、そして運よく病院の専門科医に送ってもらったとしても、診てもらうまでの待ち時間はバカみたいに長くて、本当に何とかしてもらいたい時にどうにもしてもらえない、という経験を繰り返したせいか、オランダの医療レベルは低いとずっと思い込んでいました。しかも不器用なオランダ人に切って縫われてぐちゃぐちゃにされたら嫌だし、本当に手術を受けなければならないのであれば日本の方がいいんじゃないか?と実は本気で思っていたのです。

実際、失礼極まりないのを承知の上で外科の先生にストレートに聞きました。

「オランダの医療レベルは、この分野の世界的スタンダードでどうなんですか?余り高くないのであれば、日本で治療するということも考えてます。少なくとも日本の医療レベルは高いと思うのですが。」

長々と診察時間をとって、さらにこんな失礼な質問に対しても先生は怒る事もなく親切にこう答えてくださいました。

この癌は西洋人に多くアジア人には少ない種類です。その患者数や経験値を考えるとオランダの方が日本より多いでしょうし、だからそのスタンダードは平均以上だと思います。日本のレベルがどうかは私には分かりませんが、オランダに関して言えば、少なくとも低いということはないと言えると思います。

ついでに「君なんてアジア人で、しかもその歳でこの癌になるなんて、ほんとオランダ人になりすぎたねぇ」とも(爆)

そして日本の国立がんセンターで腫瘍外科医をしていた友人に電話をして、自分の状況の諸々を相談すると共に、「オランダと日本とどちらで治療を受けるべきか?」ということも聞いたのです。

彼女はわざわざオランダの状況も分かる範囲で調べてくれた上で、次のことを教えてくれました。

1. この種類の癌はスイスの国際学会で治療スタンダードが決められる為、世界のどこで治療を受けても基本的には同じ治療になるはず

2. そして癌治療は手術だけではなく、それ以外にも抗癌剤など色々あってすぐ終わるわけではない。つまり長引いてもその間ずっと日本にいられるのかどうか

3. さらに外科と形成を両方いっぺんにできることは実はとてもすごいことで、日本でもそれができる施設は限られている。その事からもオランダの治療レベルが低いとは考えられない。逆に同じ治療を日本でしようと思うと、病院を探すのも大変で、患者になれるかどうかも分からないうえに、患者になっても手術までさらに待たなくてはならない

「手術後に目が覚めて、英語もオランダ語も喋れなくなってたらどうしよう?」なんてことも頭をよぎったりしたのですが、この友人のアドバイスを聞いて、例え言葉や文化の違いがあっても「とりあえずオランダでなんとかしてみるか!」と思ったのです。最終的に今振り返ってみると、癌患者にいたれりつくせりのオランダで治療を受けて本当に良かったなぁと思うので、この友人には一生頭があがりませんね♪ 持つべきものは偉くなったお友達です♡ (つづく)


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2011年10月7日金曜日

オランダの医療事情5


実は癌の告知をされて一番困った事は、それをどのように両親に知らせるか。遠く海外での病気、しかも治療方針などに自分でまだ納得ができていない、それでも遅かれ少なかれ手術になるので知らせないといけない、でも知らせたらパニックになるほど心配するだろうなと。

職場の上司にはすぐに伝え、とりあえず自分のことに専念できる環境は提供してもらっていました。そして会社を休んで家にいてもよいとも。ただ、何かしていないと自分がどうかなってしまいそうなほど私自身が不安定だったので、あえて日常の生活パターンを崩さずに続けようと、会社にも行っていました。

とはいえ仕事に集中できるわけもなく、家でも泣いてわめいて喧嘩しての繰り返し。感情の起伏は激しすぎて、ジェットコースターにでも乗った気分。今考えるとあの頃の自分は躁と鬱を繰り返していたのではないかと思います。

そんなある日、全てを投げ出してしまいたくなったのをきっかけに「このままだと手術前に自分は死ぬんじゃないか」と。それで思いついたのが精神科医だったのです。

欧米では精神科医やカウンセリングというのは日本より一般的です。そこへ行く事で「キチガイ」というレッテルを貼られることもありません。これまで何があってもそんな所へ行こうと思った事はなかったのですが、今こそプロの助けが自分には必要なんだ!と。そしてまた担当看護師さんに連絡して精神科医を紹介してもらう事にしました。

大学病院内にも精神科か心療内科かあるはずなので、すぐに紹介してもらえるだろうと思っていたのですが、驚いた事に紹介されたのは大学病院外の施設。なんとオランダには癌専門の精神科(精神腫瘍科=サイコオンコロジー)の団体があったのです。

この団体では癌患者、その家族、そして医療関係者のための様々なカウンセリングやコースを提供しています。当然、癌に関係ないと行けませんから、ここもホームドクターからの紹介状があって初めて患者として受け入れてもらえる事になります。

ということで、初めて連絡した時にはお決まりの『順番待ち数週間』と言われたのですが、自分の状況を簡単に説明してその緊急性を話したら、キャンセルが出たら優先的に連絡してもらえる事になりました。そして運のいい事に、2日後にキャンセルが出たのでした。

そして私の担当カウンセラーは、自身も癌を患ったことのある人だったのです。彼女は癌治療の知識だけでなく、その状況で実際にどう感じるかを自ら知っていたのです。この事は私にとってはカウンセラーと信頼関係を作りやすかっただけでなく、時には「癌患者の先輩としてどう思うか」という質問を投げてアドバイスをもらったりすることができ、とても重宝しました。そして彼女のおかげで私は早々に鬱から抜け出し、家族へも知らせ、自分の状況を受け入れ、治療と向き合う事ができたともいえます。 (つづく)

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2011年10月6日木曜日

オランダの医療事情4

癌の告知と今後の治療方針などを聞き、手術に関する資料をもらって家に帰ってから、まずはPCを立ち上げ、思いつく限りネット検索を始めました。

そうすると病院では思いつかなかった質問がどんどん湧いてくるんです。ま、ぶっちゃけ自分が癌であるということを認めたくないので、別の病名の可能性はないのか、治療方針に含まれない選択肢はなぜ駄目なのか、別の医者でも同じ判断をするのか、治療は日本とオランダではどっちがいいのか、などなど。

はっきり言って、癌告知された直後は脳みそがショートしていた状態だった訳ですから、何を話したかもよく覚えていないのです。それで担当の看護師さんに電話。

色んな治療に関する質問については「もう一度外科医の先生と話した方がいいですね。アポをとるので、時間が決まったら連絡します。あなたからの質問はその時に答えてもらえるように先生には伝えておきます。」

そして外科治療と形成を同時にするかしないかの選択肢の検討の為、形成外科医ともアポをとってもらい、そして手術の順番待ちのリストに載っけてもらってその進捗状況を聞いたりと、毎日のように担当看護師さんと話してました。

この看護師さんの役割を分かりやすく言うと、病院とのやりとりをするにあたってアカウントマネージャーとして丸抱えで自分の面倒を見てもらっているようなものです。しかもこちらは慣れていないので、1を言えば10を理解してくれるサービス満点のゴールド会員にでもなった気分でした。

癌という病気になったというだけで、精神的ストレスは相当です。それに加え、自分で関係各課に連絡して、それをコーディネートして、なんて余分な仕事はできるはずもなく、これらを全部おまかせでやってもらえたというのはとても有難いことでしたし、そのおかげで病気とその治療に集中できたのではと思います。 (つづく)

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2011年10月5日水曜日

オランダの医療事情3

検査結果を聞きに病院に戻ったのが翌週の月曜日。ちょうどホームドクターにかかってから1週間後でした。結果は外科でとのことだったので、外科外来で待っていたのですが、いつまでたってもお呼びがかからない・・・

多分2時間半位待たされたのではなかったかと。そして漸く自分の番になって診察室に入って、外科の先生の「随分待たせてすみません。そしてさらに悪いニュースもあります。」という言葉から始まったあの日、正直自分で何をどう話したのか良く覚えてません。

ある日突然予期していない病名を告げられ、それが死に直結する事もあるもので、しかも世間一般で知られている治療方法の選択肢は自分にはない、しかも人生で初めての手術、そんな諸々をその場ですっと納得して飲み込める人はそうそういないのではないでしょうか。

結局その場で思いつく限りの質問をなんとかして、それに丁寧に答えてもらい、さらに触診があり、などとやっていたので多分1時間は外科の先生とお話ししていたのではないかと思います。

患者一人一人にそんな時間を費やしていたら、そりゃ2時間半待ちにもなるわな・・・

と、こういう状況でもそんなことを冷静に考えている自分がいたりして(笑)後日、日本にいる腫瘍外科医の友人にその事を話すと「そんなに時間が取れるの?いいなぁ、オランダは。きっと取捨選択がはっきりしてるんだね。」とのこと。これはこれまでの経験上思うに、癌治療の為には患者の精神状態をきちんとフォローすべきというポリシーがあるのではないかと。そしてその為にさらに専門の女性看護師の方が私の担当になってくださいました。

その日はその担当看護師さんから手術に関する資料をもらって家に帰っただけで、正直「担当って一体何してもらうんだろ?」と思った位なんですが、何かある度にとりあえずその方に聞けばいいという状況がこんなにも有難いことなんだというのを身をもって経験するまでそう時間はかかりませんでした。 (つづく)

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2011年10月4日火曜日

オランダの医療事情2

2008年、オランダの銀行でジャパンデスクヘッドというタイトルをもらって忙しくしていた頃、息抜きに休暇をとって友人たちと一緒にバリへ出かけました。そしてその南の島で休暇満喫中のある朝「これ何?」と思える兆候があったのです。

オランダに帰国してすぐ、月曜日の朝一番でホームドクターへ行って、問診&触診でホームドクターが青ざめてしまいました。肝心な私のほうは、「この歳で癌になる訳ない」というよく分からない変な自信があったので(笑)、ホームドクターにその場で「すぐに病院へ行くように」と言われても「じゃ、ちょっくら検査してもらって来ますか」位のノリでした。

前回にも書いた通り、病院の初診アポ待ち1ヶ月とかが当たり前のこの国。「どうせそれ位待たされるんでしょ」と思っていたらなんと10日後!

オランダにしてはめちゃくちゃ早いじゃん♪

と思ってたのですが、それでも「10日は長い。そんなに待たない方がいいから」って気をきかせて別の病院に電話をかけ始めたホームドクターのアシスタント。2件目の病院も同じく10日後。ダメもとで一番混雑していると思われるユトレヒト大学病院に電話してもらったら「2日後に来てください」ここからながーい治療の一歩が始まったことを考えると、全ての科がそろった大学病院の患者になった自分の強運に感謝してもしきれません。

そして2日後の水曜日、その大学病院に行ってレントゲンとエコーをとってもらいました。幸い自覚症状のあった所はやはりなんでもなかったという結果で「やっぱりね♪」と勝手に納得したのですが、その場でさらに「ちょっと気になる場所があるので、その組織をとってもうちょっと詳しく調べた方がいいですね。明日また来てください。」

翌日の木曜日、特別な機械&麻酔を使ったかなり大掛かりな検査は所要時間1時間半。今考えてみれば、そんな大変な検査は本当に『ヤバイ』ものでないとするはずがないって分かるのですが、その時はそんな事とは露知らず、のんきな私はそれでも自分の置かれている状況がそんなにヤバいとは思っていなかったのです。ですから検査後に「すぐ結果が知りたいと思うけど、申し訳ないけど週末明けるまで待ってもらって月曜日に結果を外科できいてください。」と言われた時には思わず「そんな急いでないし大丈夫ですよ。」と返事をしそうになったり・・・ そんなこんなで、周りはすでに結果を予測して先へすすんでいたにもかかわらず、私はまだホームドクターの診察からたった1週間で癌の告知をされるとはこの時点で夢にも思っていなかったのです。 (つづく)

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2011年10月3日月曜日

オランダの医療事情1

日本に帰国して腫瘍外科医の友人と話したり、患者さんからお話を聞いたりする度に、自分自身がラッキーにも手厚い治療をオランダで受けているということを実感しています。オランダでの医療現場が日本とどう違うのか、それらについて細かく書くと約束したので、これから時間を見て書いていきたいと思います。

まず、これまでの治療について触れる前に簡単にオランダの医療システムを説明しようと思います。オランダではホームドクター制のシステムとなっています。つまり国民はみな一人一人自分のかかりつけの医者であるホームドクターを持っています。そして体調だけでなく、鬱などの精神的なことも全てこのホームドクターへまず相談する事になります。

風邪をひいて薬をもらったり、インフルエンザ予防接種、ちょっとした湿疹の薬、中耳炎などの治療は大抵このホームドクターに数回かかれば終わりとなります。ところが、広く浅くのホームドクターの手に負えないやっかいな症状や、検査に特別な機器がいる場合は、ホームドクターの紹介で専門医にかかることになります。

専門医といえば、内科、外科、皮膚科、耳鼻咽喉科、と色々あるのは日本と同じですが、オランダの場合、専門医は大きな(総合?)病院の専門医となります。つまり、日本の街中にあるいわゆる「XX医院」というような専門医は、一部の例外を除きほとんどありません。

このようにホームドクターから送られてきた患者はみな「簡単な症状ではない」と専門医にかかるわけですから、病院の専門医はいつも混雑する事になります。そして病院側も新規の患者を受け入れすぎると既存の患者を診れなくなるので、初めての診察アポまで1ヶ月も待たされるなどということはザラにあり、その間イライラして症状と付き合いながら専門医とのアポを待つという構図が出来上がるわけです。

ということで、「病院が本当に必要な患者に必要なケアができるように、ホームドクターは簡単に患者を専門医へ送る事はやめるべきだ」という意見がある一方、「ホームドクターは詳しくこの分野の事を知っているわけではないから早く専門医に診てもらいたい」という患者の意見もあり、この辺はオランダの社会問題でもあるわけです。

ということで、私自身もオランダに来てからなかなか専門医に診てもらえない、という経験を何度もしていた為、「ヤバい病気になったら専門医に診てもらえる頃には死んじゃってるんじゃない?」とよく冗談にしていた位です。ところが、自分が本当に『ヤバい病気』になった時に、この認識はとんでもない間違いである、ということに気づいたのでした。 (つづく)

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2011年9月7日水曜日

8月10日はつかいち文化ホールさくらぴあ

ちょっと話が前後してしまうので、コンサートツアーの話はもういいかな?とも思ったのですが、せっかくなので記録代わりにやっぱり時間がかかっても書いておこうかなと。

ということで、まだしばらくの間ツアーの話にお付き合いください。

広島は実家があるので、元々コンサートをする予定でした。地元の知り合いにコンサートへ来てもらえたらと思っていたので、広島市内にあるホールではなく、実家のすぐ近くにあるホールのさくらぴあをあえてとりました。といっても、私が住んでいた頃にはまだなかったホールなので全然知らなかったのですけど。

当日の昼に練習がてらステージに上がってピアノに触ってびっくり!音響がいいし、ピアノもいいし、とにかく『弾きやすい』ホール♪「こんなに弾きやすいホールって珍しいわ」と正直思った位!このようなホールが自分の地元にあるというのはなんだか誇らしい限りです。また機会があれば、是非行って弾いてみたいですね。

両親が、ありとあらゆるツテを使ってすでにチケットをかなり捌いてくれていたこと、地元で色んな方にご協力頂いた事もあって当日までにかなりチケットが売れていました。さらに、当日の中国新聞の朝刊や、地元ラジオにコンサートのことを取り上げて頂いたこともあって、そこからも集客があったようです。ということで、この日はほぼ満席となりました。ありがたい話です。

コンサートには地元市長さん、前国会議員さんにお越し頂いて、ご挨拶も頂けて、なんだかものすごいことになってました。市長さんに会うのに開演直前ホールへ足を踏み入れたら、その周りほとんどが知り合い。地元でこんなにサポートして頂けたんだ、というのを目の当たりにして本当に嬉しく思いました。

市長さんはコンサート後にわざわざステージ裏まで来てくださり、「はよぉ、家に帰ろう思うとったんじゃが、面白うて最後まで聞いてしもうた」とのこと。途中で帰られるのかな?と思っていたので嬉しいサプライズでした。ということで、市長さんと記念撮影♪

さらに「今日の朝刊見てきました」とおっしゃる癌患者さんも。同じく乳癌を患われ、私と同じくらいか若い位の女性。「3000円は高いなぁと初めは思ったんですけど、思い切ってきました。でも来てみたら3000円は安かったです。本当にたくさん元気と勇気をもらえました。ありがとうございます。」との言葉。自分が元気な姿を見せることで、色んな方に元気になってもらえることは本当に素敵なことだなぁと思えた瞬間です。

色んな知り合いに来てもらえて、すごい久々だった方もいらっしゃったのに、一人一人とゆっくり言葉を交わす時間がなかったのが本当に心残りです。プレゼントやお花だけもらって、翌日には大阪というスケジュールで、電話を入れる暇もなかったんですよね、すみません。。。

ただ、この日が盛況だったお陰で、義援金の大部分がここから出せたことになります。ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございました。m(_ _)m


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2011年9月2日金曜日

耳鼻咽喉科 9月1日

実は、日本に行く直前からいきなり声がでなくなってました。でも別に風邪をひいたとかそういうのではなく、声が出ないだけ。

とにかくツアー準備に追われて、毎日色んな人と電話やスカイプで喋りまくっていたので、そのせいかな?と。そして日本に着いてからも、毎日色んな人に会ってはしゃべるということを繰り返していたので、声を休める暇があるはずもなく、ガラガラ声のまま怒涛のようなスケジュールをこなし、気が付いたらそのままオランダへ帰国。

忙しかったストレスとしゃべりすぎだから、ゆっくりすればそのうち声、戻ってくるでしょ♪

位の軽い気持ちでいたのですが、1週間たっても戻ってこないとやっぱり不安になる。というのも、父親の喉頭癌は「風邪ひいてるわけでもないのに声だけ出ない」という症状でみつかったこと。

「まさかね・・・?」とか思いながらも、やっぱり元癌患者として「転移」とか「再発」とかのリスクと隣り合わせなのは自覚済み。悶々としていても仕方ないのでかかりつけのホームドクターへかかったのが先週。

「のどに異常はないし、声帯に何かある可能性もあるから念の為、耳鼻咽喉科へ行っておいで」ということで、結局いつも通っている大学病院送りとなり、今日行ってきました。

結論から言うと「声帯には異常なし」

ほっ♡

胃酸が上がってきてるわけでなければ、声の酷使によるもの。ということで、医者に言い渡されたのが「おしゃべり禁止」

とまあ、何でもないということで落ち着いて一件落着なのですが、自分では考えないようにしていてもやはり頭の隅に「喉頭癌」というのが思った以上に鎮座していたらしく、病院から戻ってきたら気が抜けてフヌケ状態・・・

やっぱり癌治療の大変さを身をもってここ数年経験しているだけに、「またさらに治療を繰り返すとなるとえらいこっちゃ」と潜在意識で思っていたんでしょうかね。頭の中では「悪い結果は出てから考えればいいや」と思っていても、やっぱり再発の恐怖を気づかないうちに抱え込んでいたわけで。

私もまだまだひよっこだなぁ・・・

と思った日でありました。

で、どーでもいいんですが、声を戻すための医者の処方箋である「おしゃべり禁止令」。

これって人の3倍はしゃべってる私にとって薬を飲むより大変じゃない???

と思うのは私の気のせいでしょうか?


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2011年8月24日水曜日

8月8日多摩南部地域病院

この病院はヴァイオリニスト小川朝子さんのご実家からすぐ近くにあります。彼女のお父様がお世話になられたということから、ここでのコンサートをアレンジして頂きました。

今回のツアーで震災支援は勿論ですが、闘病中の方にもエールを送りたかったというのが私の中にもあり、あえて自分の病気のことを公表して臨みました。そういう意味でも病院でのコンサートは私にとって一番やりたかったことの一つ。この日のトーク&選曲は小川さんにお任せで、病院に伺いました。

入り口すぐの所に大きな受付があり、吹き抜けの空間はホールのよう。そこにグランドピアノが置いてあり、よく院内コンサートをされているというのに納得!外来の受付が終わる頃(?)に音出しをしてよいとのことだったので、ピアノを触らせてもらうと本当によく響く♪ ということで、かなり弾きやすい環境下でのコンサートとなりました。

曲の合間のトークにはご病気をされた小川さんのお父様のお話、そして私の話。ツアーに出る4日前に最後の形成治療を受けて、実は傷口に大きなパッチをつけたままの帰国だったことなどを始め、予期してなかった小川さんからの質問にタジタジになる場面もあり・・・(笑)

そういう私の患者としての本当の姿をさらけ出した上での演奏に何かを感じて頂けることがあったようで、コンサート後にわざわざ私の所へいらっしゃった患者さんが両手で握手をしながら一言。

元気をもらいました

コンサートツアーの企画、アレンジ、準備をしながら、演奏も、というハードスケジュールの疲れも一気に吹き飛ぶ嬉しい言葉となりました。長い闘病がどんなに大変か自分で知っているだけに、少しでもその元気のもとになれたというのが分かって、「うん、救われた自分の命、無駄になってないよな」と思えた瞬間でした。

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2011年8月22日月曜日

8月7日文京シビック

ツアー2回目のコンサートとなるのが文京シビックの小ホールでした。このホールにするまで紆余曲折あったのですが、震災支援ならということで使用料を安くしてもらえたんですね。これは音楽事務所が全日借りていらっしゃったということもあるのですが。で、同じ経費を払うなら箱が大きい方が義援金も集まるよね?という理由でこのホールにしました・・・が!

いやはや300人弱入るホールを埋めるって並大抵ではないんですよねぇ。分かってたことでしたけど。しかも準備期間がめちゃくちゃ短かったし!それで知ってる限り色んな方にご協力頂いて集客をするっていう作業を実はコンサートの直前までやってました(汗)そこには色んなストーリーがあって、ここには書けない事もたくさんありましたが、それでも趣旨に賛同して本当にたくさんの方にサポートして頂けたおかげで、かなり会場はお客様で埋まっていました。ということで、これを読んでらっしゃる方の中にも、睡眠時間を削ってお手伝いしてくださった方もいらっしゃると思います。本当にありがとうございました<(_ _)>

コンサート始まるまでどの位人が入っているのか全く想像つかない状況で開演。ステージ裏のドアを開けてもらってステージに踏み出した瞬間に思ったのは

よかったぁ~~~
ガラガラじゃない!!!

一体どういう緊張感でコンサートに臨んでるんだ?って感じですが(爆)

ということで、普通にお辞儀して弾き始めた第1曲目。なんとなく普通のクラシックコンサート風だったのはここまで。ここからはじゃんじゃん曲の合間にトークを入れちゃいました。(演奏中の写真は来てくださった方からの提供)

これはこれまでの経験でそっちのほうが聞き手にとってもいいし、そうなると弾き手も弾きやすいというのが理由。あと今回は震災支援と言うこともあって、普段クラシックを聞いてらっしゃらない方もたくさんお見えになっているに違いないということもありました。そうすると解説や聞き所が予め分かっていると入りやすいですからね。ま、コンサート後に会った同級生には「あのトークの慣れ具合から色んな経験したんだなぁって思ったよ」と言われてしまいましたが(笑)

ということで、コンサートは無事終了。趣旨に賛同してくださった多くの方には喜んで帰って頂けたようでほっとしています。そして始めは「チケットが高い」という声もじゃんじゃん聞こえていましたが、そのチケットをご購入頂いた上にさらに義援金箱にお金を入れて行かれた方や、知り合いに声をかけて義援金を集めていらっしゃった方もあってその集まった額にびっくりしました。

ただここにはさらに追加ストーリーがあって、この日、音楽評論家とか音楽雑誌の記者とかも来ていらしたそうです。で、その批評が「バイオリンはいいけどピアノはダメ」ってことだったらしく、相当な酷評がこれから載るそうです。やれやれ!

お金とってコンサートしてプロの土俵に乗るならそれなりのレベルを要求されるのは当然私も承知済み。手術5回&抗癌剤の後遺症&ホルモン療法の副作用諸々を考えても、今の私にできる精一杯はここまで。自覚していることで、自分でもどうしようもないことに、傷口に塩を塗りこむようなことをされると正直やっぱり凹みます。それでも、病気で苦しんでいる人や、被災者の為に元気をあげたかったという気持ちが一部の方には伝わらなかったというのはとても残念でした。ま、それ以上に得るものがあったツアーでしたので、私的にはいいのですが、一緒に組んだバイオリニストの小川さんにはちょっと申し訳なかったなぁと思います。

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2011年8月21日日曜日

日本ツアー終了なり♪

ということで、長くてキツキツスケジュールだった日本ツアーを無事終了して、19日にオランダに戻ってきました。いや~、長かった!でもすごく充実した日々だったし、得ることもいっぱい。ので、少しずつその様子を書いていけたらなぁと思います。

まずは最初のコンサート横浜編。

こちらはママさんグループの色んなイベントを企画している知り合いとのコラボ。そういう事をしてらっしゃる方だって知っていたのでこちらから「普段コンサートに行けない子供相手のコンサートとかってどうでしょう?」とアプローチ。子供さんのいらっしゃるお母さん方にしてみれば、やはり生の音楽を聞かせてあげたいというニーズはあるようで、すぐさま「やりましょう!」と。

プログラムはコンサート準備に追われて直前まで決めていなかったのですが、でもレパートリーだけはたくさんあるので、その中から子供相手で飽きなさそうな短い曲ばかりを選択。勿論、子供達に知っておいてほしいこと、それをどうやって伝えるか?なども考えて30分程度のプログラムを構成。

で、いざ出陣!

実際にはこのコンサートに行きたいとおっしゃる方が多くてこちらの方が驚いていたくらい。それだけニーズがあるんだなぁと。とはいえ、ちょうど夏休みシーズンで、お父さん方も休暇に突入する時期だったらしく、「行きたいけど、旦那が家にいるので行けません」と言うとっても日本らしい理由(ヨーロッパでは旦那が家にいると子供相手をもっとしてもらえるので、お母さん方の仕事は減るんですね♪)で断念された方も多かったようです。

それ以外にチケット販売についてはっきりさせていなかったことが理由で音楽事務所に連絡をされ、このコンサートに関してはノータッチだった音楽事務所からなぜか「売り切れです」とかいう返事をもらってそのまま諦めた方もいらっしゃる模様。この辺は反省材料です。ということで、これが理由で来れなかった方、本当にすみませんでした。


で、コンサートは乳幼児がメイン。子供達になるべく近くに来てもらって楽器の仕組みを説明します。写真は喋っていて顔が変なので突っ込まないでくださいまし(笑)

ついでにアップライトピアノのカバーをがばっと外して中を見せてハンマーなんかの説明もプラス。これは大人でも見たことがない人が多かったので、かなり衝撃的だったようです!ま、裏話をするとピアノを全開しないとヴァイオリンとのバランスが取れなかっただけなんですけどね♪


とまあ、こんな感じで始めたので、そこは乳幼児。興味をもった子の突撃乱入があったりもします!(写真下)

これは大人向けのコンサートなんかでもそうなんですけど、実は曲の説明をしたり、聞き所を教えたりして弾き始めるとかなり真剣に聞いてもらえます。なので、乳幼児といえども途中で大声を出すとかそういうことはなくて、静かに聞いてくれるんですね。これはやはり演奏する方にしてみれば嬉しいことです♪

こちらは日本に着いて間がなく、時差ぼけはあるし、大きなコンサートを抱えているし、でかなりテンパっていたので、こういう小さなコンサートをさせてもらうことで調整ができたのもありがたかったですね。

ということで、大人だけから入場料を徴収したこのコンサートでは義援金というほど集まりませんでしたが、やはり来て頂いた全ての親子から喜んでもらえたのは嬉しかったことです。というか、こういう機会をもっともっと日本でも作ってもらいたいなぁと思います。

コンサートには私の弟一家も家族全員4人で参加。姪っ子はちょうどピアノを習い始めた所だったらしく、コンサート後の車の中ではずっと「ねぇねぇ、尚ちゃん、ピアノ楽しかったよ~。ピアノとバイオリンすごくよかったよ~」を連発。これは本当に嬉しかったですね。でもピアノを続けて私みたいになってもらったら困ると思ってる弟には頭痛の種が増えたようですが(爆)

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2011年7月24日日曜日

ただ今、猛特訓中なり

ということでコンサートツアー、既にJHKのウェッブ(http://www.japanhelpenkan.nl/naar-japan/)に告知しましたが関西圏も決まり、どんどんスケジュールはタイトになってます(笑)


毎日、とにかくピアノに何時間も向かっている今日この頃。。。昨日は、昼からヴァイオリニストとリハーサル。滑舌が悪い(?)サン・サーンスと格闘し、メトロノームとにらめっこ (-""-;)


彼女が帰った後もカンヅメ状態で延々とデュオとソロの両方のレパートリーの練習。なかなか思うように仕上がらないので、いくら時間があっても足りない感じ。


昨日から、曲の録音チェックも始めました。音楽家として自分の演奏を客観的に聞くのに、自分の演奏を録音してチェックするというのは欠かせません。



歳をとると共に、演奏はどんどん客観的に聞けるようになるのですが、それでも演奏中に自分が表現したいと思っていることと、実際の録音が違っている箇所が出てくるので、それで細かい直しをしています。

その作業中に発見したのは、自分が思っているより曲が完成していたこと!練習している時には気に入らない所がいっぱいあって、ここもあそこもってキチガイみたいにさらったりするんですけど、意外と録音聞いてみると、そういう細かいところは全然よかったり・・・

とヴァイオリニストに言ったら、私が四苦八苦しているのを知ってる彼女が一言。

「弾けるんだから、弾く勇気を持つことね♪」

確かに・・・
でもそれが一番難しいことだったりするんだよなぁ・・・(^_^;)

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2011年7月6日水曜日

夏は日本でコンサート♪

ということで、帰国します!
そしてコンサートもします!
それもツアーです!

ということで、詳しくはこちら→ http://www.japanhelpenkan.nl/naar-japan/


上のリンクを読んで頂ければ分かる通り、色々紆余曲折はあったものの、夏のコンサートの企画を練り直してがんばってすることにしました。はい、復興支援のチャリティーです♪

まぁ時間がせまっているんで、てんやわんやなんですけど、幸いにもまたまた色んな方に助けていただいて、またいつもの通り話がでかくなってます(笑)

とはいえ、お客さんがいらっしゃらないと義援金どころか、大赤字ってことになりかねないので、お尻に火がついた状態で、出来る限りの広報をしないと!って所です。

へ、赤字になった場合?
それはですねぇ、私のポケットマネーから捻出することになるんですよねぇ・・・(汗)

勿論それは避けたい・・・

ので、ここでお願いです!

このリンク→ http://www.japanhelpenkan.nl/naar-japan/
出来る限り多くの人に回して、集客手伝ってください!

宜しくお願いします<(_ _)>

ちなみにまだ決まってないのですが、一応関西圏にも行く予定です。というか、今その候補が何箇所かあって、近々には決めて動き出すことになります。

そして、東北もお話はすでにあるんですが、毎日状況が変わったり、或いはやっと通常業務に戻れるとかいう状態なので、ぎりぎりになるまで告知できないかもしれませんが、いきます!

ということで、忙しい夏になる予定です。てか、既に猛暑の気配の日本。体力もつんかいな?

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2011年6月9日木曜日

Viva Italia!!!

2年前にイタリア語を始めてから、ボチボチ上達しつつある私のイタリア語。普段の生活では使うことがないので、休暇中の宿題は「イタリアでイタリア語を話すこと」

ということで、毎日がんばって話してました。4歳のいい講師にも恵まれたし(笑)やっぱり会話の練習って短期集中ですればするほど上手になりますよね。まぁこの辺は3ヶ国語目なので要領はつかんでます。

ポイントはやはりマスターしたい言語に触れる機会を増やすことですね。なので、普段からRai 1というイタリアテレビを自宅でも見てますが、英語の時と同様、見るのはもっぱら料理番組です。「Sale e pepe...(塩とこしょうを・・・)」位なら考えなくても分かりますしね。あと自分の興味のある分野でないと苦痛で続きませんし。。。

ということで、イタリアではイタリア語学習教材を探してきました。といっても、日本の参考書みたいなものではなく、楽しくお勉強ができる教材。

その1
「ラタトゥーユ」というディズニーDVD。料理もさることながら、大人でも楽しめるディズニー映画。こういう素材なら何度でも飽きずに見れますからね。ということで、イタリア語吹き替え&字幕で勉強予定です。

それにしても便利な世の中になりましたよね。私が英語の勉強してた頃はまだビデオだったので、何度も巻き戻して聞き取りの勉強したものですが、それも今は昔・・・

その2
「のだめカンタービレ」。なんで日本のマンガ?って感じですが、これイタリア語訳バージョンを買ったんですよ。

いやぁ、話には聞いてましたが、外国での「日本アニメブーム」ってすごくってびっくりしました。イタリア語の先生に薦められて探したのですが、イタリアにはどんな小さな街にも「マンガ屋」なるものが存在します。

私が行ったマンガ屋では、床から天井まで所狭しとぎっしりマンガ。品揃えは日本の本屋も真っ青。だって「キャンディキャンディ」とか「ベルサイユのばら」とかまであるんですよ。しかも、横のケースにはフィギュアもズラーっと並んでて・・・(汗)

買いに来るのは頭が緑とかの若い子供達が多いようですが、私のイタリア語の先生は私と同い年で日本のマンガを読んで育ったらしく、私より日本のマンガに詳しいですからねぇ・・・レッスン後によくマンガの話してます(笑)

イタリアの年配者は戦争で日本に親近感を持ち、若者はマンガで日本に親近感を持ってる模様。いつも思うのはイタリアに行くと日本人は本当に温かく迎えられるし、英語より日本語しゃべれるイタリア人の方が多いんじゃないかって言う位、日本好きな人が多いんですよね。

ということを常々言ってたんですけど、今回のイタリア旅行でうちのクマも納得した模様。「確かに日本人の君がいると対応が違う・・・」イタリア語喋れるようになるとそれにさらに拍車がかかりますからねぇ。。。さっさと隠居して、イタリアで年金生活したいですね♪


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イタリア語の練習相手♡

今回イタリア旅行中に泊まっていたアグリツアリズモ(ペンションみたいな所?)にまつげバサバサで、ミケランジェロのダビデ像みたいに端正な顔立ちの男の子がいました。

Mixiやってる最中にPC覗き込んで 

「何やってるのぉ???」
というオチャメさん♪

ついでに画面見ては親切丁寧にイタリア語を教えてくれるんですね。

私:これは?

ダビデ:Orso (くま)

私:じゃあこれは?

ダ:Miele (はちみつ)

私:これはPesce(魚)でしょう?

ダ:うん、Pesceね(発音を直される)

私:これはCappucino!!

ダ:違う、違う。Bagno(お風呂)でしょ。

とまぁこんな調子。

さらに「ボクちょっと向こうにいってくるけど、戻ってくるまでここにいてくれる?」とにっこり笑っていなくなるんですね。で、また戻ってきて、普通にお話。私の下手なイタリア語にイライラもせずマイペースにお話が続く・・・ 

とまあこんな感じでとっても可愛い将来が楽しみな4歳の男の子でした。やっぱり語学は子供相手が一番ですね(笑)


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2011年6月8日水曜日

Cantare, mangiare e amare!

歌って、食べて、愛しての国、イタリアへまたまた行ってました。

フィレンツェ市内を歩いていたら、 感じのいい鞄屋さんがありました。ちょっと中に入ってみたら、なんとピアノがあるではありませんか!で「エリーゼの為に」を弾いちゃいました。

そしたら鞄屋のおじさんもピアノを弾き始めた♪ よくよく聞くと元々はギタリストだったらしく、 自作のギター&歌のCDもらちゃっいました。ということでイタリア旅行中、車の中でずっと彼の歌聴いてました。これがCantare(歌う)。

さて、本場イタリアンはおいしすぎて、 ついついそのままがっついてしまうんですよね。それでシャッターチャンスを逃してしまうんですけど、限られた写真の中から少々公開。これがMangiare(食べる)。

で、最後の極めつけ・・・


レンタカーでトスカーナ地方を回っていたのですが、人気のない郊外の田舎の道端で車が止まってたんです。なぜかドアは全開で人陰が見えないんですね。それで


「なにかあったのかしら?」

と思って車のスピード落として車の中をちら見したら・・・



なんと!



男女がお楽しみ中♡

えぇぇぇっっっとぉぉぉ・・・(汗)

やっぱりアモーレ(愛)の国だな と思った瞬間でした(^^;)

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2011年5月23日月曜日

新しくブログはじめました・・・

「また???」と言う声が聞こえてきそうですが、すみません。また新しいブログ始めました。いや、こちらのブログは放置もいいとこってのは知ってるんですけどね・・・

内容はJapan helpen kanのビジネスモデルについて。なーんて書くと「はあ?」って感じですが、実は震災支援をやってる団体が大抵行き詰っちゃう理由はやっぱり運営にあるのが明らかなので、そこをしっかり議論したかったのです。

ということで、JHKをビジネスモデルとして使って、非営利団体の運営について書いてみることにしました。なので、ターゲットは非営利団体運営者、或いはビジネス関係の方。しかも日本語なので、やっぱりここはアメブロかと。

ま、そういうのにご興味のある方は読んでみてください。→http://ameblo.jp/japanhelpenkan/
一応、タイトルごとに読みきり型で記事をアップして行く予定です。


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2011年4月18日月曜日

Dutch TV debut / オランダテレビデビュー

There is one TV programme in Holland, which is called "Nederland helpt". It literally means "Holland helps". The programme introduces people who are helping others and somehow I ended up in the programme...

Just for 6 minutes programme, they spent so much time and efforts.  First it started with e-mail communication and one person came to my house to discuss details.  Then the TV crew came to the concert in Zoetermeer and had a shoot there.  It means they came 3 hours before the concert and checked the sound, lights etc and spent the whole evening.  Then the crew came to my house with the TV presenter and I had interview with him.

In total, they spent more than 8 hours for the 6 minutes.  The end result was superb! They made a beautiful story out of an ordinary person like me.  So, I really respect their professionalism.  At the same time, this experience makes me realise how much work involved in such a scene.  As an audience we usually watch only a fancy surface but it is built on the so many people's so much efforts...  In short, it was great experience thanks to them!

If you are interested to watch the programme, you can check this link although everything is in Dutch.


オランダのテレビ番組に "Nederland helpt"というのがあります。文字通り訳すと「オランダが助ける」となります。私も今回の話があるまで知らなかったのですが、どうやら人助けをしている人を紹介する番組で、色々あって私がその番組に出ることになったのです。

私の出演時間はたったの6分にもかかわらず、この番組を作る為にテレビ取材班が費やした時間や労力はとんでもないものでした。まずはメールのやり取りから始まり、打ち合わせに我が家に1人いらっしゃいました。そしてZoetermeerのコンサート収録では、開演3時間も前から音声や照明チェックなどがあり、コンサート終了まで。さらに番組司会者と一緒にまた取材班が我が家にお越しになり、今度はインタビューの収録。

この6分の為に彼らが費やした時間は合計8時間以上に及ぶものでした。当然その結果である番組はすばらしい出来でした。というか、私みたいな素材でこんなにすばらしい番組を作れたこと自体が驚きです。そのプロ仕事を目の当たりにして尊敬の念を禁じえないというのでしょうか。同時に何気ないシーンの為に費やされる仕事とはどういうものか、この経験でちょっとだけ見せてもらえたともいえます。大抵テレビと言えば華やかな所しか見えませんが、これは多くの人の多くの労力によって支えられているってことですね。ということで、ありがたいことに本当にいい経験をさせてもらえたと思います。

で肝心のテレビ放映ですが、全てオランダ語でもよければこちらからどうぞ~☆→リンク  


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2011年4月12日火曜日

Benefit concert on 15 April / チャリティーコンサート4月15日

The last one month, Japan Helpen kan! has held so many benefit concerts in Amsterdam, Amstelveen, Zoetermeer, Den Haag etc.  This one was the one of the last benefit concerts and planned finally in Utrecht where I live.


Unfortunately, there were a lot of concerts & events during that week until Easter.  
So we had a problem to get audience but I was grateful that I got a lot of supports from so many people.  So THANK YOU VERY MUCH!!!


Now 1 month has passed since the earthquake and it is time for us to think about our mid-long term support instead of benefit concerts.  It will be very challenging to think about something but I am confident that we will make it again!  Let's see how it goes.  If you have any idea, please let me know!



過去1ヶ月Japan Helpen kan!としてオランダ各地 (Amsterdam, Amstelveen, Zoetermeer, Den Haagなど)でチャリティーコンサートを開催してきました。今回は、一連のコンサートとしては最後となり、私の住むユトレヒトでの初めてのコンサートとなりました。

残念ながらこの週からイースターにかけて、様々なコンサートやイベントがあり、集客はなかなか難しいものがありました。とはいえ、またもや様々な方に助けて頂きコンサートができたことは、やはりありがたい事だと思います。ということで、お世話になった方、ありがとうございました。m(_ _)m

震災から1ヶ月たち、そろそろチャリティーと言う言葉に反応がなくなったこともあり、これから中長期でどういう支援が出来るのかを考える時期になったのではないかと思います。これは簡単なことではありませんが、グループとして知恵を出し合えばまた何かすごいものが出来るのではないかとも思います。ということで今後がどうなるか楽しみです。そして勿論なにかよい案があれば是非是非ご連絡くださいまし~。




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Benefit concert on 10 April / チャリティーコンサート4月10日

This concert was originally organised by a friend of mine and her friends. It was their annual concert for their pupils.  I was asked to play a piece already in the beginning of this year and I decided to join just for fun.

Then the earthquake happened and my friend & her friends became active fund-raisers within Japan Helpen kan!.  Within no time, they decided to make this concert as a fund-raising concert of Japan Helpen kan!.

So the concert had still the atmosphere of the friendly annual concert for kids but participants, their family & friends donated for the good cause. In the end, we raised about EUR 1,000.  Thank you everyone!!!

Due to the purpose of this concert, we had chosen a piece that kids can also enjoy. So, we did our best to make them laugh. The below is the video of our performance and hopefully you can enjoy...


このコンサートは元々、私の友人とその友人達が企画したもので、毎年恒例の彼らの生徒達の発表会でした。今年初め頃にそこで一曲弾いてもらえないかと頼まれ、面白そうだったのでそのまま参加することにしていたコンサートでした。

その後3月に東日本大震災が起こり、この友人達はJapan Helpen kan!のチャリティーイベントの中心的存在になりました。そしてすぐに彼らはこの発表会をもJapan Helpen kan!の義援金集めの為のチャリティーコンサートにしてしまったのでした。

とはいえ、コンサート自体は発表会なので、子供達の為のその雰囲気は残したまま、参加者の子供達、その家族や友人達が寄付に参加してくださいました。最終的には1,000ユーロほどの義援金が集まりました。皆様、ご協力どうもありがとうございましたm(_ _)m

ということで、子供達も楽しめるように選んだ曲だったので、↓こんな感じになりました。楽しんでいただけると幸いです♪



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2011年3月30日水曜日

Benefit concert on 2 April / チャリティーコンサート4月2日

Finally I had a chance to play the piano for one of the events organised by Japan Helpen kan!  It was in the Oude Kerk, Zoetermeer on 2 April. We had about 150 audience and raised EUR 2,607.  Knowing there were children, I assume each adult probably donated about EUR 20.  Of course it is not only about money but I am so grateful that we were again(!) supported by so many people with good heart...

The concert consisted of many performers with different kind of music such as improvisation with organ, jazz, Japanese songs, etc.  It was very enjoyable also for me.  We finished the concert with the song, "Ue wo muite arukou" by Kyu Sakamoto, known as "Sukiyaki" song in Europe.  Because all Japanese including audience sang the song together, it created a special friendly atomospher and we ended with standing ovation.


So, I am going to organise another benefit concert on 15 April in the St. Willibrorduskerk Utrecht. I think I am also going to arrange different kind of music and hopefully we can sing "Ue wo muite arukou" again!!!

p.s. For information about all events you can check at -> http://www.japanhelpenkan.nl/events/


やっとピアニストとしてJapan Helpen kan!のイベントで出番がもらえたので、4月2日ZoetermeerのOude Kerkまで行ってきました。当日は観客約150人、義援金は2,607ユーロ集まりました。お子さんもいらっしゃったことを考えると、多分大人1人に付き20ユーロの寄付を頂いたのではないかと思います。お金が全てではありませんが、毎回このようにサポート頂ける皆様の優しい心に感謝、感謝です。

コンサートは様々なアーティストによる色々な曲(オルガン即興、ジャズ、日本歌曲など)からなり、私もしっかり楽しませて頂きました。コンサートの最後は「上を向いて歩こう」を日本人全員(観客の日本人も強制参加で舞台に立って頂きました☆)で合唱。これがさらなる盛り上がりに拍車をかけ、最後はスタンディング・オベーションでおひらきとなりました。


ということで4月15日ユトレヒトのSt. Willibrorduskerkでまたチャリティーコンサートの予定なのですが、ここでもまた様々なジャンルの曲からなるコンサート&「上を向いて歩こう」の合唱でシメとなるように出来るといいなぁと思ってます。


あ、全イベントの詳細はこちらから→ http://www.japanhelpenkan.nl/events/




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2011年3月19日土曜日

How we started a charity organisation, "Japan Helpen kan!"

About 2 years ago, I was diagnosed with cancer.  Chemo & 4 operations later, I was about ready to re-start my life.  To celebrate my recovery, I decided to throw a concert as a former pianist.

On the day I supposed to enjoy my new life, so many people were flushed away or buried under collapsed buildings at the other side of the world... There were big earthquakes and Tsunami. When I came home after the concert, I sat on the cold wooden floor and stared at the shocking scenes, which had been broadcast continuously on TV.  I don't know why but I was crying unconsciously for long time.

During my fight for my life, I learnt so many things;  How precious the life would be. How hard to be yourself when things are out of your control.  How difficult to fight back if it is endless.  Nothing matters if you are alive.  To be thankful for what I have... etc. etc.

Due to my experiences, I may be able to understand a little how those Earthquake / Tsunami survivors would feel right now.  They have been also fighting for their lives.  As a cancer survivor, I thought I would like to use my life for others since I have a second chance to live.

Over that weekend, things got worse due to the nuclear power plant.  I really thought I should do something since I was born and raised in Hiroshima.  I had been thinking how I could help those people.  I followed all news I could think of and read those tips what I could do.  Yet it was so limited what I could do because I live abroad.  My conclusion was to send money as much as possible.

Of course I could send my money to the Japanese Red Cross.  It was probably the easiest way.  But I would like to do more...

Then I met a woman, who was a board member of a catholic church, Sint Willibrorduskerk in Utrecht.  She offered me the church to hold a concert.  As a pianist, I thought I could do a charity concert to raise money.

On Sunday evening (13 March), I sent out e-mails to my friends, who are musicians in Holland, and asked their help to organise a charity concert.  Immediately everyone agreed and gave me more ideas for charity events.  Within no time, we decided to make a group to raise funds for victims in Japan and made a Facebook account.

Everyone asked their own friends to help our ideas.  Next morning when I woke up, members of our Facebook account were over 100 people.  So there were professional event planners, web designers, business people, school teachers etc.  Within 1 week we have our official name "Japan Helpen kan!" (thank you Hans Prummel!), logo, website, Facebook fan page (thank you Gert Jan Bos!), Twitter account, and many events.

Things became much much bigger than I originally thought.  Thanks to everyone's help.  The group has already raised a few thousand Euro, the amount I would never possible send personally.  I sincerely hope all our events will be successful and every cent we raise would help people who barely could eat and drink currently.

For more information of our activities, please see
Website: www.japanhelpenkan.nl/,
Facebook: www.facebook.com/JapanHelpenKan
Twitter: JapanHelpenKan
Contact: japanhelpenkan@gmail.com

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2011年3月16日水曜日

福島の原子力発電所、現場からの声

Mixiの中に原発の現場で働いてらっしゃる方が日記をアップされていました。日本では東電への非難轟々の中、こうやって現場で命への危険を顧みず仕事をしてらっしゃる方がいらっしゃいます。

この方はご自身が非難をあびることを覚悟の上で、実名で状況を書いていらっしゃいました。これを読んで、私も色んな方にそれを知って頂きたいと思って英訳をしていた所、この方、元の日記を丸々削除されていました。理由はこのように書かれています。


「申し訳ありませんが私の意図とは別な方向に使われてしまったため 閉鎖します

現場を見た私が伝えたいことは今も変わっていませんが 悪用され 皆様の不安を煽る結果となってしまったため 閉鎖させて頂きます

これからも現場のみんなを応援します

本当に申し訳ありません」


Web上なら何を言ってもいいという無責任な人が多い為に、こういう話をシェアできないのは大変残念なことだと思います。ただご本人の意思を尊重する意味で、元々書かれていた名前やURLは削除させて頂いてこちらに載せていました。ところがご本人と連絡を取った所、

「現在 私の名前や日記が編集され悪用されています
正確な情報を伝えることができなくなりました

また 私の家族 友達 彼氏の個人情報までもが書き込まれてしまいました

混乱防止 周囲の安全のため日記削除をお願いしています」

という連絡がきました。よってご本人の為にも「オリジナルの日本語」は丸々削除させてもらうことにしました。英語のニュースでは私の下手な英訳で世界のニュース(ロイターにまで載ってしまいました・・・汗)にまでなっていましたので、引き続き掲載させて頂きます。何かあれば「私の英訳が間違ってた」ということで・・・



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東日本大震災の義援金チャリティー・イベント

前回の記事でちょこっと触れましたが、オランダ在住日本人音楽家達で、義援金集めの為のチャリティーコンサートを企画したいと思い、日曜の夜に友人音楽家にメールしました。

誰かが陣頭指揮をとって何かを始めるのを待っていたかのように「いいね、のった!」と皆が賛同してくれて、さくっと仮称「Japan Earthquake Benefits」という名前でFacebookのグループアカウントを作りました。

あれよあれよという間に参加者が増え、翌日の朝起きたら既に100人超えてました。それだけ皆さん「何かしたい」と思ってらしたということですね。それだけ人数がいれば、音楽家だけでなく、美術関係、ビジネス関係、マスコミ関係、色んな専門家の集まりみたいなものです。で、その中で見つけたのが、『イベント・プランナー』。この状況にこれだけピッタリな人っていないでしょう!!!

ということで、この彼女が陣頭指揮をとって、早速月曜日の朝から関係各所に連絡をしてくれました。彼女のコネで、広告代理店もスポンサーとして名乗りを上げてくれ、アムステルダムやアムステルフェーンのイベントのできそうな場所も手配。ついでにオランダでは超有名なとある方も是非イベントに参加したいとの連絡が・・・(←これはまだオフレコなので言えません。)

一方で私の方は日本関連の各所に連絡。大使館はなかなかの好感触。Dujatは早速100%協力しますとのご返答。ということで、気が付いたら自分で考えていたより全然話が大きくなってました。(;^_^A

皆さんこういう事態なのでどこも協力的。どちらかというと組織をきちんとする方に手間取っていて、先に進まないのがもどかしかったりします。先日やっと正式名称「Japan Helpen kan!」が決まり、ロゴ、ホームページ、FacebookのファンページTwitterアカウントを作ったばかり。そしてこれらのソーシャル・ネットワークを駆使してイベントの詳細を今、発信してます。今度の土曜日26日にはアムステルダムをみんなで行進してから黙祷することになっていて、こちらは既にオランダの主要ニュース取り上げられています。

その他にもオランダのテレビ番組「Nederland Helpt」から連絡をもらい、是非震災関連の番組で私達の活動を紹介したいとのお話。話がどこでどうなったのか、「日本から来たピアニストが言いだしっぺでグループを作り、イベント企画をして、しかもコンサートでピアノも弾く」ってことになっていて、それを是非番組でってことになってました。今の所、言いだしっぺは私ですが、イベント関連はイベント・プランナーへ、コンサート関連は各自企画してもらっていて、人に仕事を割り振ったり、何をどうするかという決定事項をメインにやっていて、自分の企画自体はまだだったんですね。(笑)

ということで、テレビを味方につけたければ、自分でコンサートもせざるを得ない状態。幸い、先週の土曜日にお会いした教会関連の方に「コンサートするならいつでもうちの教会でどうぞ」と言われているので、ここはユトレヒトで一発何かしてもいいなぁとは思ってます。教会の方もお金集めが必要な状態なので、メディアに紹介してもらえれば一石二鳥。私もテレビデビューで有名になれば一石三鳥!?って欲張りすぎか( ̄ー ̄;

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